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久米川教室

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8/23【久米川教室】中学1年生の授業で

本日の中学1年生の数学の授業で改めて感じたことがあったのでそのお話を。

結論から申し上げれば、
「教えることも学ぶことも我慢の連続である!」ですかね。

中学1年生の数学では現在、方程式の文章題後半(速さ・割合)を扱っています。
文章題、誰もが避けて通りたいと思う難しい単元です。

TOMANの中1の生徒さんたちも、文章題と聞いただけで顔が引きつっていました。

さて、方程式文章題のどこが難しいかと言えば、当然「立式」の過程です。
文章を読んでそれを数式に「翻訳」する作業、これが教える側にとっても学ぶ側にとっても本当に辛い。

授業をただ成立させることだけを目的としてしまえば、講師側がひたすら説明して式を板書して、答えに導くことで問題ないでしょう。
けれど、それでは生徒さんたち、全くできるようになっていません。
「わかる」と「できるようになる」は全く別物。TOMANの講師陣の口癖です。

できるようになるためには、各自に考える時間を用意しないといけません。
これが教える側にとって我慢の時間です。ヒントを出すにも答えにすぐ結びつくようなものはいけません。
学ぶ側も大変です。過去に習得した知識等を駆使して試行錯誤の連続ですからね。
この時間を経て解法に行き着き、その後の反復練習を経た上で「できる」ようになります。

中学1年生ですから、我慢して試行錯誤することに慣れていません。
すぐに答えを知りたがります。
時には嫌な顔をされることもあります。
けれど、僕の仕事は生徒さんに好かれることが目的なのでななく、あくまで勉強をできるようにさせることなので、我慢、我慢です。

それでも日々着実に進歩してくれていますよ!
残りの時間も頑張っていこう!

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