教室長ブログ

10/13【久米川教室】自己解釈

日々子どもたちをお世話するなか、ここ数年で一貫して感じることがあります。

それは「自己解釈に頼りすぎる子どもが多い」ことです。

例えば、

・今日は数学の授業だというのに、「理科だと思ってましたー。」
・問題文に「ア〜エで答えよ」と書いてあるのに、「A・B・Cで答えると思っちゃいましたー」
・僕が「理科マスターシートの30ページを開いて・・・」と言ったのに、「問30を開くのだと思っちゃいましたー」

このようなやりとりが日常茶飯事。

すべて「〇〇だと思っていた」という自己解釈で判断しています。
これらを「ケアレスミス」や「勘違い」なんて言葉で片付けてはいけません。
頻度にもよりますが、その子の評価を根幹から左右する「最も憂うべき事態」くらいに捉えてほしい問題です。

自己解釈に頼る子は、人の話を聞きません。
もちろん問題文なんて読みません。
ひどい時は彼らが忘れ物をしてこちらが咎めた際に「ちゃんと確認したんです!!」なんて開き直ることも。
(忘れている時点で「確認」になってませんし、「ちゃんと」という副詞も意味を成しません。)

何でしょうね、単純に「わがままが過ぎる」と感じてしまうのは僕が歳をとったせいなのでしょうか。

孔子も言ってますよね。

思ひて學ばざれば則ち殆(あやう)し
意味:自分で考えてばかりで、人に学ばないようだと、考えが偏るので危険このうえない。

もちろん、同時に


「學びて思はざれば則ち罔(くら)し」
意味:人から学んでばかりで、自分でそれについてよく考えなければ、本当に理解することはできない。

とも述べているので、あくまでバランスが重要なのですが。


我が家を見てみれば、
息子二人が日々「YouTube」「Amazon prime video」「Netflix」など、オンデマンドで動画や番組を見放題。
(僕がいるときは許可を得て見る形になりますが、優しい妻だけの時は秩序がありません。)


こういう経験を積み重ねていれば、わがままになるのも無理はないのかも知れませんね・・・。


子ども自体の問題というより、消費社会が生んだ副産物なのかも知れません。

誰か「この人の言うことはちゃんと聞こう」と思える人間が周囲にいないと、危なっかしくて仕方ありません。


TOMAN久米川教室では、吉澤が「おっかない存在」なので、自己解釈ばかり披露する子はすぐにお説教です。

「自己解釈に頼ってばかりの自己中人間」のままで社会に出てしまわないよう、
今後もうるさく言葉を投げかけていこうと思います。

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