教室長ブログ
10/20【久米川教室】「わからないバイアス」
「バイアス※」という言葉をご存じでしょうか。
(※傾向、偏向、先入観、データ等の偏り、思考や判断に特定の偏りをもたらす思い込み要因、得られる情報が偏っていることによる認識の歪み、といった意味で用いられる語。)
ここ数年、かなり一般的に使用されるようになってきた言葉のうちの一つだと思います。
日々生徒さんの勉強のお世話をする中で、
「どうしたらちゃんと理解してもらえるだろう?」
「テストでもっと点数を取らせてあげられるようにするにはどうしたらいいのだろう?」
と考えない日はありません。
僕の塾講師歴も15年に差し掛かろうとしています。
5年前・10年前は「ただやっていないだけ」の子が多く、
こちらも強制力を持って「やらせる」ことができれば大抵の状況は打破できました。
しかし、ここ数年なかなかそうはいきません。
問題なのは先日もブログで書いた「自己解釈」に陥ってしまう子が多い点。
これは「わがままなお子さんが増えている」という社会的要因が大きいように思えます。
解決策としては、
吉澤が各自に「自己解釈」をしてしまっていることを気づかせ、ひたすら注意して修正すること以外ありません。
わがままは吉澤に通じない、と思わせることが重要だと考えています。
しかし問題はこれだけではないのです。
完全に吉澤の造語なのですが、「わからないバイアス」がかかった状態になる子が多すぎる点。
これが結構厄介なものであると感じています。
「わからないバイアス」にかかってしまうと、
ちょっと考えればわかること、過去の記録を辿れば解決することに関して、「わからない」と決めつけ、思考停止してしまいます。
この状態になった時、周りの声はなかなか届きません。
なぜなら本人たちは「わからないんだからしょうがないじゃん」という開き直りにも近い状態になってしまっているからです。
ここでもやはり「わがままなお子さんが増えている」という要因は関係していますね。
そんな時、ついつい答えを教えてあげたくなってしまうのが大人の心理ですが、
「わからないバイアス」を抜け出すことを考えると、絶対にやってはいけない行動だと言えます。
例えるならば、親の車にただ促されて乗せられて、気づけば目的地に着いている、そんな状態です。
そこがどこなのか、どのような道のりで至ったのか、何も「気づき」はないでしょう。
これでは何度やっても「わからない」を抜け出せず、同じ質問を何度もして、結果不貞腐れます。
「わからないバイアス」を抜け出すためには、本人の経験値を増やすこと以外に手はないと思います。
経験値を増やすには、本人が試行錯誤するしかありません。
最近の子どもたちって、この「試行錯誤する時間」がストレスで仕方ないという印象です。
先日も授業内で試行錯誤する時間を設けたところ、ずっと不貞腐れている生徒さんが複数名いましたからね。
どこかに行く時、親が連れて行かないと行けないような状態は、勉強する場合においても適切とは言い難いものです。
まずは自分の足で歩き回ってください。
目的地に最短で着けなくても、至るまでの道のりで土地勘を得ることができます。
これこそまさに経験値。
勉強する上でも、まずは自分の力で考える。
記憶に神経を巡らせて思い起こす。
そしてボーっとしていないで書き出す。
吉澤はおっかない存在なので、わからないバイアスで開き直ってしまう生徒さんにはかなり厳しく接します。
それでも、何とかへこたれずに立ち向かってください。
そして吉澤を乗り越えてください。その先に確かな理解が待っています。
十分に考えさせた上で、それでも答えに行きつかないのであればヒントを出します。あくまでも最小限で。
常に問題を解く側に忍耐力を要求しているのですが、実は教える側も忍耐力をもって臨まなければなりません。
(すぐ答えを教えちゃった方が双方にとって楽ですからね〜。でもそれじゃダメです。)
今日はちょっと長々と語ってしまいましたが、吉澤の脳内はいつもこんな感じです。
来週からテスト対策を本格化させますね!!
(※傾向、偏向、先入観、データ等の偏り、思考や判断に特定の偏りをもたらす思い込み要因、得られる情報が偏っていることによる認識の歪み、といった意味で用いられる語。)
ここ数年、かなり一般的に使用されるようになってきた言葉のうちの一つだと思います。
日々生徒さんの勉強のお世話をする中で、
「どうしたらちゃんと理解してもらえるだろう?」
「テストでもっと点数を取らせてあげられるようにするにはどうしたらいいのだろう?」
と考えない日はありません。
僕の塾講師歴も15年に差し掛かろうとしています。
5年前・10年前は「ただやっていないだけ」の子が多く、
こちらも強制力を持って「やらせる」ことができれば大抵の状況は打破できました。
しかし、ここ数年なかなかそうはいきません。
問題なのは先日もブログで書いた「自己解釈」に陥ってしまう子が多い点。
これは「わがままなお子さんが増えている」という社会的要因が大きいように思えます。
解決策としては、
吉澤が各自に「自己解釈」をしてしまっていることを気づかせ、ひたすら注意して修正すること以外ありません。
わがままは吉澤に通じない、と思わせることが重要だと考えています。
しかし問題はこれだけではないのです。
完全に吉澤の造語なのですが、「わからないバイアス」がかかった状態になる子が多すぎる点。
これが結構厄介なものであると感じています。
「わからないバイアス」にかかってしまうと、
ちょっと考えればわかること、過去の記録を辿れば解決することに関して、「わからない」と決めつけ、思考停止してしまいます。
この状態になった時、周りの声はなかなか届きません。
なぜなら本人たちは「わからないんだからしょうがないじゃん」という開き直りにも近い状態になってしまっているからです。
ここでもやはり「わがままなお子さんが増えている」という要因は関係していますね。
そんな時、ついつい答えを教えてあげたくなってしまうのが大人の心理ですが、
「わからないバイアス」を抜け出すことを考えると、絶対にやってはいけない行動だと言えます。
例えるならば、親の車にただ促されて乗せられて、気づけば目的地に着いている、そんな状態です。
そこがどこなのか、どのような道のりで至ったのか、何も「気づき」はないでしょう。
これでは何度やっても「わからない」を抜け出せず、同じ質問を何度もして、結果不貞腐れます。
「わからないバイアス」を抜け出すためには、本人の経験値を増やすこと以外に手はないと思います。
経験値を増やすには、本人が試行錯誤するしかありません。
最近の子どもたちって、この「試行錯誤する時間」がストレスで仕方ないという印象です。
先日も授業内で試行錯誤する時間を設けたところ、ずっと不貞腐れている生徒さんが複数名いましたからね。
どこかに行く時、親が連れて行かないと行けないような状態は、勉強する場合においても適切とは言い難いものです。
まずは自分の足で歩き回ってください。
目的地に最短で着けなくても、至るまでの道のりで土地勘を得ることができます。
これこそまさに経験値。
勉強する上でも、まずは自分の力で考える。
記憶に神経を巡らせて思い起こす。
そしてボーっとしていないで書き出す。
吉澤はおっかない存在なので、わからないバイアスで開き直ってしまう生徒さんにはかなり厳しく接します。
それでも、何とかへこたれずに立ち向かってください。
そして吉澤を乗り越えてください。その先に確かな理解が待っています。
十分に考えさせた上で、それでも答えに行きつかないのであればヒントを出します。あくまでも最小限で。
常に問題を解く側に忍耐力を要求しているのですが、実は教える側も忍耐力をもって臨まなければなりません。
(すぐ答えを教えちゃった方が双方にとって楽ですからね〜。でもそれじゃダメです。)
今日はちょっと長々と語ってしまいましたが、吉澤の脳内はいつもこんな感じです。
来週からテスト対策を本格化させますね!!