教室長ブログ

努力論2

その2「努力とは、リスクを負うことである」


何かをやったら何かが手に入る。頑張ってたくさんのことをしたらその対価としてたくさんのものが確実に手に入る。これって努力?

努力しない人の口癖が「やってもできるとは限らない」「絶対にうまくいくならやるけれど」という定番なんですけれど、本当にその通り。大概の努力は無駄に終わりますからね。努力して成果が手に入らないとすごく損した気分になる。そんなリスクを負うくらいなら、初めからやらない、リスクを取らない、っていうのは至極真っ当な考え方だと思います。これなら初めっから「0」です。得もないけれど損もない。ある意味「リスク回避重視」の発想ですよね。言い換えれば「堅実」。

ただですねぇ、成果を上げている人は、もう例外なく努力している。

「努力」って期待値は高いんですけれどリスクも大きくて、大概の努力は無駄に終わる。しかし、それが成功すると、これまでの損を一気に取り返すだけの成果が上がる。あるいはいくつかの、決して成功したとはいえない努力が有機的に結びついて成果となる。

努力を続けられる人は、その努力が成果を上げたかどうかなんて気にもしない。一つひとつの努力は基準を満たす成果に繋がらなくても、それは努力の性質上仕方がないし、それで「もう努力なんてやめよう」とは思わない。結果として、まさに当然にして、期待値の高さが成果に結びつく。時間をかけて豊かになる。

これはこれで「損得重視」の考え方なんですけれどね。ただ、こちらの方が期待値が高いってこともあって、結果的に豊かになれるのはこういう考え方の人なんだと思います。努力を続けている分、その人の実力も違うでしょうしね。

「大概の努力は無駄に終わる」のではなくて、「無駄に終わる」ように見えることもある、だけなんじゃないのかなぁ〜。

「努力は結果ではなくてその過程が大事」、よく聞くセリフなんですけれど、この言葉の真意って、そんなところにあるんじゃないでしょうか。「一つひとつの結果は気にするな。いつか成果は上がるから」という、数学の確率論でいえば非常に信憑性の高い、科学的な根拠に基づいている格言なんだと思います。

中学生がそんな損得重視の功利的な考えをしなくてもいいと思いますけれど、努力することが当たり前の習慣になっていれば、その分だけ豊かさや自由に近づけると、僕は考えています。


僕もガンバろ〜。
 


過去の記事

全て見る